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【宇梶剛士】トップクラスの元不良!驚愕の武勇伝とは?家族&学歴も!

 
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今度の「たけしのニッポンのミカタ!」に出演する俳優の宇梶剛士さん。

そんな穏やかで優しい印象の宇梶さんですが、若い頃は日本でもトップクラスの不良!

そして国内最大規模の暴走族・ブラックエンペラーの7代目名誉総長だったのです!

そこで今回は宇梶さんの不良時代の武勇伝や家族、学歴について総まとめしました。

 

宇梶剛士のプロフィールと経歴

 

 

本名: 宇梶 剛士(うかじ たかし)
別名義: 津村 浩(つむら ひろし)
生年月日: 1962年8月15日
出生地: 東京都新宿区
身長: 188cm
体重: 不明
血液型: B型
職業: 俳優、タレント
ジャンル: 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間: 1981年 –
配偶者: 既婚
著名な家族: 宇梶静江(母)、浦川治造(叔父)

 

宇梶剛士さんは1962年8月15日に東京都新宿区西大久保にある東京都立大久保病院で誕生。

出生時の体重は5,000gと非常に大きく、当時都の健康優良児の表彰を受けています。

 

 

そんな宇梶さんは3歳から5歳まで東京都小平市で生活していたようです。

幼少期は「フランダースの犬」や「母をたずねて三千里」などの世界名作劇場が好きだったとか!

普段からアニメをよく観ていたようで、母親によく映画に連れて行って貰っていたそうです。

こうした背景が宇梶さんの俳優を志していく創造性の礎となっていると思われます。

 

 

宇梶剛士の家族まとめ

 

宇梶剛士さんのご家族は、父親、母親、従兄弟、兄、姉を含めた6人家族です。

父親は1級建築士だったことからそこそこ裕福な暮らしをしていたのかもしれませんね。

そして母親の宇梶静江さんはアイヌ民族の人権活動家で詩人・古布絵作家として有名。

彼女はアイヌ民族の血を引いており、そのことで差別を受けていた経験から、

人権活動家として全国各地を巡って活動をし、家を不在にしがちだったそうです。

 

出典:パブー

 

また、静江さんは生活に困窮していた人を助け、家に居候させることも多かったとか。

そのため宇梶さんは幼少期から知らない人と生活することがよくあったといいます。

 

 

離婚して再婚?子供はいる?

 

そんな宇梶剛士さんは、1男1女の子供を持つ父親でもあります。

20歳の頃に最初の妻と結婚し、男の子を1人もうけていますが、その後、離婚。

そして再婚した一般人の妻とは現在も連れ添い続け、1人の女の子をもうけています。

 

 

 

 

宇梶剛士の学歴は?小学校時代から喧嘩最強!?

 

そんな宇梶剛士さんは小学2年生まで広島県安芸郡府中町で生活をしていました。

当時はリトルリーグ野球でキャッチャー選手として活躍していたそうで、

国立オールスターズチームのメンバーに選抜されるなど将来を有望視されていたといいます。

 

 

その圧倒的な強肩から小学校6年生の頃に中学生の不良から目をつけられたという彼。

この時、27人全員にタイマン勝負で勝つという伝説を打ち立てています。

そんなこともあり、小学校時代からよく喧嘩を売られていたという宇梶さん。

しかし体が大きいため、例え相手が悪くても「喧嘩は買った者損」だと感じていたとか!

そのため、決して自分から喧嘩を売ることはなかったということです。

 

 

宇梶剛士、高校時代から不良の道へ

 

宇梶さんは高校時代、190センチ近い長身と抜群の運動神経を誇っていたため、

野球選手として将来を有望視されており、プロ球団からスカウトが来るほどだったそうです。

そして元々、日本の高校へ進学せずに、メジャーリーガーを目指して渡米する予定だったそう!

 

 

しかし父親が左遷されたことでその道を諦めざるを得なかったようです。

その後「拓殖大学第一高等学校」に進学して野球部に入った宇梶さん。

そこに待ち受けていたのは、先輩部員らによる過度なシゴキでした。

そのため宇梶さんは同級生部員らと一緒に学校側にこのことについて抗議をしたそうですが、

それが元で先輩部員たちにさらにいじめられ、試合でも干されるようになったといいます。

その後1年間まともに野球をさせて貰えなかった宇梶さんの怒りはついに沸点に!

そして高校2年の時にシゴキをしていた先輩部員らを暴力でねじ伏せてしまいます。

この傷害事件が元で野球部は1年間の試合出場停止の処分を受け、宇梶さんは少年鑑別所へ。

その後高校を中退し、宇梶さんは不良の道へと進んで行くことになります…。

 

 

 

宇梶剛士ブラックエンペラーへ加入

 

少年鑑別所を出所した宇梶剛士さんは2つ目の高校に編入。

そこでも野球部に入って甲子園を目指しましたが、再びトラブルを起こし退学します。

その後、やることを失った宇梶さんは荒れた気持ちをぶつける場として、

日本最大と言われていた関東圏の暴走族「ブラックエンペラー」に入りました。

 

 

この「ブラックエンペラー」とは東京を中心に勢力を誇った暴走族

当時の構成員は傘下まで加えると1万人を越えるといわれるほどの勢力を誇っていました。

ちなみに歴代総長には”アウトローのカリスマ”と呼ばれる瓜田純士さんの父親・瓜田吉寿さん。

そして3代目には元俳優の本間優二さん、6代目に芸能プロデューサーの蛯澤賢治さんなどがいます。

そんな宇梶さんはブラックエンペラーに加入するとすぐに三多摩地区のヘッドに!

そして1年も経たないうちにその名前は関東圏で知れ渡り、

蛯澤さんが引退する際に満場一致で“7代目総長”に就任しました。

 

 

 

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宇梶剛士の武勇伝とは?

 

宇梶さんが「ブラックエンペラー」時代に残した武勇伝は、今や伝説となっています。

その中でももっとも有名なのは「1人対1000人」対決。

当時、約300名のメンバーと湘南を走っていた宇梶さんは、

地元の暴走族と揉め事になりたった一人で相手暴走族1000人を叩きのめしたとか!

しかし、相手が1000人いたという時点でこの話に尾ひれがついている気がしますが…。

多くのメンバーをまとめていた宇梶総長にはさすがの一言しか言えませんね。

 

 

 

 

まとめ

 

今回、元暴走族・ブラックエンペラーの7代目名誉総長で、

現在は俳優として活動されている、宇梶剛士さんについてまとめてみました!

そんな彼は当時のブラックエンペラーのメンバーから、

「基本的には優しく、自分から仕掛けない人。

でも、卑怯なやつには、ブチ切れると死ぬほど恐ろしい」

といわれ、人望もかなり厚かったようです。

この自分なりの筋を通すスタイルが、2000人ものメンバーをまとめていたのでしょうね。

そして穏やかでひょうきんなイメージからは想像もつきませんが、

現在の宇梶さんは基本的に優しい性格で奥さんやお子さんを溺愛するパパとしても有名です。

また、虫には弱く、甘いもの好きという可愛い一面も!

このことが愛すべき人柄に思えて、親近感が持てるのではないでしょうか?

今後の宇梶剛士さんの活動に、大いに注目していきたいと思います!

 

 

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