【中村雅俊】の経歴や出身校をまとめてみた!実家情報&家族構成も紹介

俳優や歌手として活躍している中村雅俊(なかむらまさとし)さん。
今度の「ナニコレ珍百景」に出演するなどタレントしても活躍しています。
そんな中村さんの経歴や出身校について気になります。
また、ご実家の情報や家族構成も詳しくまとめてみました。
中村雅俊のプロフィールと経歴

出典:eiga.com
生年月日:1951年2月1日
出身地:宮城県
血液型:O型
身長:183cm
所属事務所:エム・ジェイ・エンタープライズ
中村雅俊さんは1951年2月1日に宮城県牡鹿郡女川町で生まれました。
そして1974年のドラマ『われら青春!』で主役としてデビュー。
また挿入歌『ふれあい』が大ヒットし、飛躍的に知名度を向上させました。
以降もドラマ『俺たちの勲章』や『俺たちの旅』といった話題作に出演。
さらに映画『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』などの映画でも活躍しています。
そんな中村さんの趣味はウォーキングやゴルフ、水上スキー、
ウィンドサーフィン、さらに野球観戦やネットなど幅広いことでも有名。
ちなみに「東北楽天ゴールデンイーグルス」のファンクラブ名誉会長を務めています。
さらに作詞作曲が得意としておりピアノ、ギター、サックスを演奏できるそう。
その他にも、けん玉や一輪車、暗算などの特技も持っています。
プライベートでは1977年の2月に女優の五十嵐淳子さんと結婚。
五十嵐さんといえば”元祖・お人形ルック”と呼ばれ、人気を博していました。
そんな2人の間には1男3女が生まれており、それぞれの道で活躍しています。
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中村雅俊の実家や家族構成は?
中村さんは現在、妻との間に4人のお子さんを授かり幸せに暮らしています。
そんな彼の父親は漁師で、母親は実家がある女川町で小料理屋「八重」を経営。
そしてお姉さんが二人おり、家では「王子」と言われ可愛がられていたといいます。
なんでも中村さんがまだ3歳の頃に父親が42歳の若さで他界したため、
子供たちを生活させていくという理由で母親が小料理屋を経営し始めたようですね。
またその場所は漁業が盛んなことから、昔から飲み屋が多く並んでいたそうです。
母親の飲食店では常に音楽がかかっており、中村さんが音楽に目覚めるきっかけに。
当時はお小遣いでブームだったアーティストのレコードを買い漁っていたといいます。
中村雅俊の学歴まとめ!
中村雅俊さんは地元女川町にある「女川第一小学校」を卒業しています。
当時は一学年上の女子を好きになってしまい、その子と同じそろばん塾に入塾。
しかし、彼女はすぐに転校してしまい、一人でそろばんを続けた中村さん。
その努力の成果は顕著に現れ、最終的にはそろばん2級に合格しています。
出身中学は?
中村さんは小学校を卒業後は同校区にある「女川第一中学校」に進学しました。
当時は成績優秀な生徒として、毎年学級委員を務めていたそうです。
また、バスケットボール部に入部し、そこではキャプテンに任命されています。
そして中学校時代から母親が飲食店を経営し始めたため、家にはホステスさんが下宿。
彼女らが下着姿でうろついているのを見て、とても興奮していたと話しています。
そしてこの時、身長はすでに181cmもあったという中村さん。
勉強もスポーツも万能ということもあり、かなりモテモテだったようです。

出典:asahi.com
出身高校は?
中学卒業後は「宮城県立石巻高校」に進学した中村さん。
同校は宮城県内屈指の進学校として知られる男子校です。
その頃から悪友とつるむようになり、飲み会に明け暮れていたとか。
母親にばれぬよう電柱を伝って2階の自室に仲間を集めていたといいます。
また、電車内では仲間内だけで「ガン付けゲーム」がブームに。
これは前の席の人にガンをつけて目を逸らした方が負けという悪い遊びです。
しかし、進学校ということもあり、根っからの不良にはなれなかったそうです。
出身大学は?
高校卒業後は一浪し「慶応義塾大学経済学部」に進学した中村さん。
初めは五木寛之さんの小説を読んで外交官に憧れていたそうですが、
在学時にやはり音楽の道に進みたいと思い、ミュージシャンを目指しています。
そして当時はかなりの貧乏生活を送っていたようで、横浜にある四畳半に下宿。
そこは風呂なしトイレ共同の家賃5000円のボロアパートだったといいます。
それでも相変わらず仲間と飲み会の日々だったようですが、
少しでも食費を浮かすために家庭教師先や彼女の自宅で食事していたとか。
また、家庭教師のアルバイトの他にも清掃や工事現場、ホットドッグ店員、
ビアガーデンのボーイ、銀座三越など色々な仕事を転々としていたようです。

出典:ameblo.jp
まとめ
今回は俳優でミュージシャンの中村雅俊さんについてまとめてみました。
実家は小料理屋で家族に愛されながら育っていたことが判明。
そして高学歴でミュージシャンを一生懸命に目指していたこともわかりました。
デビューから長い時が経っても、多くの人を魅了し続ける中村さん。
これからのますますの活躍を祈るとともに応援していきたいと思います。