伝説のモデル【山口小夜子】の経歴や死因は?結婚相手&子供の噂も調査!

山口小夜子さんは日本人初のパリコレモデルとして、世界的に活躍していました。
しかし、2007年に突然この世を去り、世間に悲しみの波が広がっています。
そんな山口さんですが私生活は謎だらけのまま…結婚していたのかが気になります。
この記事では山口さんの経歴や死因、そして気になる情報についてまとめています。
山口小夜子のプロフィールと経歴

出典:ameblo.jp
生年月日 1949年9月19日
没年月日 2007年8月14日
没年齢 57歳(数え59)
出身地 日本・神奈川県横浜市
毛髪の色 黒
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 170 cm / ― kg
山口さんは「京浜女子大学横浜高等学校」と「杉野学園ドレスメーカー女学院」を卒業。
1971年にモデルとしてデビューし、山本寛斎さんらのショーで注目を集めました。
1959年にはルイ・フェローに見い出され、アジア系モデルとして初めてパリコレに出演。
1972年にもパリコレに起用され、次いでニューヨークコレクションにも出演しています。
そして切れ長の目と黒髪のおかっぱ髪で登場し、日本人の間に一大ブームを起こしました。
またヨーロッパでも熱狂的に支持され、「SAYOKO マネキン」が欧米のブティックを席巻。
なお、現在でも「アナスイニューヨーク店」にてマネキンが使用されています。
1973年から1986年までは「資生堂」のモデルとして専属契約を結び、活躍。
1973年の『シフォネット』のポスターでは時代の転換点を体現し、話題となりました。
また、モデルとして活動しながら、ファッションデザインや服飾品のプロデュースも担当。
1977年には雑誌『ニューズウィーク』の「世界のトップモデル6人」に選ばれています。
女優としても活躍
モデルとしての活動の傍ら、舞台および映画女優としての活動も開始。
寺山修司さん演出の『中国の不思議な役人』の稽古にて天井桟敷のメソッドに触れ、
飛躍的に表現の幅を広げた後、翌1978年には映画『杳子』で主演を務めています。
また1981年にも舞台『小夜子:山口小夜子の世界』で主演を務めました。
その他、演出家佐藤信さんの舞台『忘れな草』など、多くの舞台に出演しています。
山口小夜子の死因は?
山口小夜子さんは2007年8月14日に「急性肺炎」のため死去しています。
葬儀は親族だけで執り行われ、9月19日にお別れの会が開かれました。
そんな山口さんの生前、最後の出演作品となったのは映画『馬頭琴夜想曲』でした。
そしてその1週間ほど前に会ったばかりだったという同作の木村威夫監督は、
「体調が悪い様子はなかった」
と語っており、いかに彼女が急逝だったのかが伺えます。

出典:i-voce.jp
2015年には東京都現代美術館にて「山口小夜子 未来を着る人」が開催。
「纏う」こと、そして現在のファッションとアートの交錯をフィーチャーした本展は、
彼女を知らなかった世代にも熱狂的に受け入れられ、大盛況のうちに幕を閉じています。
山口小夜子は結婚していた?子供は?
生前からプライベートなことに関して、謎に包まれていた山口小夜子さん。
一般的に言われている説としては結婚はせずに生涯独身であったと言われています。
そのため、子供もおらず、恋人やパートナーの影もみられなかったとか。
恋愛についても明言を避けていますが、過去のインタビューの中では、
「私は寛斎さんに拾われたの。
寛斎さんのオーディションに行っていなかったら、私はモデルを辞めていた」
と山本寛斎さんとの出会いについて述べています。
その後も山本寛斎さんの仕事上でのパートナーを長く続けていた山口さん。
一部では「恋人関係だったのでは?」と言われていましたが確証はありません。
まとめ
今回は山口小夜子さんのことについて色々とまとめてみました。
私生活についてはあまり明かされておらず、最期までミステリアスさを貫いています。
そんな山口さんの晩年が12月6日の「爆報!THE フライデー」で放送されます。
「仕事に生きた女性」として最先端を走り続けていた山口さん。
その素晴らしい業績は、これからも世界で語り継がれていくことでしょう。